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若宮八幡社 宮司 初山 吉上さん
大宝変換に創建された名古屋の創鎮守とされる伝統ある神社「若宮八幡社」宮司。栄ミナミ界隈をよく知る一人。
栄ミナミの元気の源は芸能と商売
若宮八幡社は、1300年前からここ名古屋に鎮座する伝統のあるお社です。その昔は名古屋城の三の丸付近に那古野神社と隣同士で並んでいました。そして、1610年の名古屋城築城の際に、現在の場所に移ってきたのです。来年は名古屋開府400年ですが、同じく若宮八幡社もここに移って来年で400年という記念の年を迎えることになります。
移転当時は、境内の広さは今の倍くらいあり、敷地内には「若宮座」という芝居小屋があったそうです。そこでは歌舞伎が頻繁に行われており、この界隈は演劇をはじめ、お茶やお花といった芸能が発達し、街も人も相当にぎわっていたようです。このように、昔から栄ミナミは活力のある元気な街だったのです。
また、30年ほど前に私が宮司としてこちらに来た頃は、この辺りは問屋街として非常に活気に満ちていました。特に、名古屋城に続くメインストリートの本町通にはお店がずらっと並び、問屋を営む旦那衆の街とも言われていました。この旦那衆が自らの権力を示す機会としていたのが、いまも続く伝統行事のひとつ「若宮祭」なのです。


旦那衆に支えられた伝統行事「若宮祭」
若宮祭は名古屋三大祭りのひとつと言われ、300年以上前から続く由緒あるお祭りとして、現在も受け継がれています。見所は大きな山車。今では戦災で焼けたり、町内での管理が難しいことから他の地区へ譲り渡されたりして、1両だけになってしまいましたが、その昔は7両の山車が本町通りを練り歩きました。山車は、問屋街を支えていた旦那衆を中心に、町内ごとで管理されていました。普通、お祭りの山車は地域住民が引くものと思われがちですが、彼らは外から人を雇い山車を引かせ、その様子を眺めて楽しんでいたのです。
山車は1両引くのに多くの人手が必要で、7両ともなると相当の人数を集めなければいけません。それが可能だったことからも、この地域の旦那衆がいかに力を持っていたかが分かります。そして、この旦那衆の勢いに導かれるように外から人が集まり、街はますますにぎわいを見せていったのです。
ところが、時代と共に街の様子も移り変わり、前にも述べたように、いつの間にか山車は1両のみとなってしまいました。この1両は、若宮八幡社が譲り受けたもので、私たちが管理しています。山車の数が減り、各町内で保持できなくなったことは寂しいことではあります。しかし、毎年持ち回りで8つの町内に管理を任せることで伝統は守られていますし、何より都心部で昔ながらのお祭りが今も開催されていること、その価値は大きいと感じています。


伝統は新しい文化で継承していく
町内の方は、今もこのお祭りに参加できることをとても喜んでみえます。特に8年に一度の管理当番が回ってくると、半年以上も前から企画を練るなど張り切ってみえます。また、山車が1両になってしまった分、お祭りの当日には、まるで往時の山車を思わせるように、境内に町内ごとにテントを張り、互いにコミュニケーションを深めます。若宮祭は、お祭りの本義である「人と神が一緒に楽しむこと」が実現できた行事と言えます。しかし、若い方はお祭りや若宮八幡社自体を知らないこともあって参加率が低く、それには私たちも責任を感じています。これからの栄ミナミを支える若者の心を掴み、伝統に引き込むための活動にも力を入れなければ、と。
そこで挑戦したのが、今年9月に行われたジャズライブ。境内に舞台を作り、ライトアップしてジャズを演奏したところ、非常にたくさんの若者が集まりました。昔ながらの神社とモダンな音楽がうまくマッチした雰囲気はとても好評で、このエリアをより元気にするきっかけが作れたと思っています。と同時に、伝統を大切にしながらも我々が新しいことを取り入れていく必要があるのかなとも感じました。
若宮八幡社はこのエリアの人々にとって、精神的な拠り所でありとても大切なもの。結婚式、お宮参り、七五三、成人式と、人生とずっと関わっていくものでもあり、若い方にも来ていただければ地域と人とのつながりを見直すきっかけになるのではと思います。私たちは、若宮祭を芯にして伝統を守りつつも、新しい発想であらゆる世代の方々に楽しんでいただけることを企画し、栄ミナミを盛り上げていきたいと思います。



